「人間関係」っていうタイトルをつけますと、何か重た~い話が書いてあると想像された方もいらっしゃるかも知れませんが、今日の記事もいたって軽~い話です。このブログ自体も半分は遊び、半分は自分自身が文章を書く訓練のために始めたもんですから、内容についてはどうでもいいアホな話だけを書くようにしとります。京都の市バスの悪口とか政府の原発事故対応に関する愚痴みたいな、「事実」プラス「個人的感想」のレベルでは今までに何度か書いてますが、天下国家を揺るがすような大胆な主張とか、人の命とか尊厳に関わるような大きいな話題については、できるだけ書かないように気をつけております。
そんなことを私みたいな小市民がこんなブログで書いたところで何ら状況が変わることはありませんし、また読まれた方がこのブログ上で派手な議論をされて、炎上でもしたら大変ですからね。過去に書いた記事を見ていただければわかると思いますが、90%以上は読んでも読まなくてもどうでもいいような内容になってるはずです。もし、ここの記事を読んで「物事の考え方や生き方が大きく変わった」とかいう奇特な方がいらっしゃるようでしたら、是非メールくださいませ。ああ、そう言えば今まで1人だけブラジルの学生さんから「京都御所」の記事について「自分の研究論文に非常に参考になりました。論文を書くのに引用してもいいですか。」という問い合わせのメールをいただきましたわ。構いませんが、だいたいはお酒が入った状態で適当に書いてますので、論文ボツになっても責任は持てませんで。
さて、実は先週の金曜日に高校の同窓会が大阪の梅田でありました。同窓会っていうてもオフィシャルなもんやありません。言ってみれば単なる飲み会ですわ。フェイスブック上で、ある友達が「いっぺん有志で集まって飲みませんか?」みたいな投げかけをされまして、私もたまたまこの日に予定が入らなかったので参加させていただいたんですわ。
おっさんばっかり15名ほど集まりましたが、ほとんどの人が卒業以来23年ぶりに会う人です。しかも顔をイメージできない人が半分ほど、また失礼ながら顔どころか名前も知らない人も何人かいらっしゃいます。「23年ぶり」ではなく、「はじめまして~」と言う人もありました。
でも不思議なもんですね。23年ぶりであろうが、はじめましてであろうが、同じ高校の同じ学年やという事実だけですぐにみなさんうちとけて会話が弾むもんです。高校時代に一言も会話したことない人とも、あたかも23年間つきあってるかのように話が弾みます。2時間の宴会はあっという間でした。同窓会みたいに、ある一定の共通の背景を持つもの同士では「人間関係」は比較的簡単に構築できるものです。
逆に共通の背景が明確でない相手とはどうしても「人間関係」を構築するのが難しくなります。昔のよくやった「合コン」なんかはその典型ですわな。合コンっちゅうのはまさに新たな「人間関係」を構築するための場でありますから、出会って最初、まずはその共通の背景がないかどうかを確認する作業から始まったもんです。現代の若いもんの合コンはどうなんでしょうか?おそらく同様のことをしているだと思うのですが。
「出身はどちらで?」
「スポーツは何が好きですか?」
「映画はどんなのが好きですか?」
「お酒はビール、日本酒、焼酎、ワインのどれが一番好きですか?」
まあ、こんなたぐいの質問が続きます。そこで相手が自分と同じ背景、例えば「焼酎が好き」なんてことを言われますと、「麦ですか、やっぱり芋ですか?」「森伊蔵って飲んだことありますか?」「どこどこの酒蔵面白かったですよ」・・なんて会話が発展しますわなあ。それで、もし話が盛り上がれば、「おいしい焼酎がたくさん置いてある店を知ってるんで、今度いっぺん一緒に行きましょか。」というようになりますわ。人間関係構築の第1ステージ完了となります。
関東の合コンは全く知らないのですが、関西と関東では「人間関係」に対する考え方が随分違うように思います。先々週から3週連続で首都圏に出張しておりますが、一般の社会生活において首都圏の「人間関係」ってものすごく希薄な感じを受けます。「人間関係」が希薄なことが悪いことではなくて、必要以上に関係を構築したくないという意識がどこかにあるように思うんですけどね。
一番おどろいたのは普通の居酒屋。大手のチェーン店みたいな広いお店ではなく、カウンター6席とテーブル4つくらいの店です。ここで最初に注文した生ビールを飲みきって、2杯目をおかわりしたい場合に普通はどうします?
「すいませ~ん」
って、関西では店の人に声をかけますわなあ。首都圏ではこれが許されないというか嫌われる風潮があるそうなんです。一応は店員さんは来てくれるんですが、
「次からはここのボタンを押して注文してください」
と言われました。確かにカウンターに呼び出しボタンが設置してあります。高級店でもなくせまい店ですよ。店の人がどこにいても、普通の大きさの声で届くと思うんですがね。直接のコミュニケーションよりも、機械を使った間接的なコミュニケーションの方が好まれると首都圏在住の友人が言ってたのを思い出します。
あと驚いたのが客の方ですわ。私も1人で飲んでましたので、当然カウンターの端に座ります。1組を除いてあとのカウンターの客はみんな1人の客です。このおひとりさまのお客さんたち4名が、みんなそれぞれが携帯でゲームしたり、メールをしたり、イヤホンつけて携帯でワンセグTVを見たり。一言もしゃべらず、また周囲に目をやることもなくですよ。まあ誰に迷惑かけてるわけではないので、構わないんですが、何か「私にかかわらないでオーラ」を感じさえします。
もちろん全ての人や場面でそうやというのではないのですが、もう10年以上も首都圏へ出張などで行ってると、全体としてはだいたいこんな雰囲気やいうのがわかってます。これは首都圏の生活環境において、「人間関係」を構築する時間的あるいは精神的余裕がないからなのかでしょうか。それとも首都圏の環境で生活する人達に「人間関係」を構築する能力(さっき書いた合コンみたいなノウハウですわ)や経験がないからでしょうか。それとも能力や経験や時間的精神的余裕もあるのに、あえて「人間関係」を拒否しようとしてるんでしょうか。
そこで先週の渋谷出張。試しに「私にかかわらないでオーラ」を出してる人に、あえてこっちから絡んでやろうと思いました。渋谷と言えば、エスカレーターで肩が触れただけでナイフで刺されるところですから、絡む相手は慎重に選ばなければなりません。
ホテル近くの「油そば」という珍しい麺の店がありましたので、ここに入ったときの話です。
こんなお店です。普通の「油そば」を注文しました。
しばらくして、狭いカウンターの私の隣の席に、見た目だいたい30歳手前の若い男性が1人でやってきて座られました。真面目な学生にも見えるこの男性、私と同じ「油そば」を注文されました。それを見て、この人に絡むことに決定しました。たった今、同じ「油そば」を注文したという「共通の背景」があることを確認できてます。
カウンターには「油そば」の食べ方の説明が書いてあります。ちょうどいいToolです。
食べ方の説明書を手に取りまして、隣の兄さんに向かって言っているとも、独り言とも取れるような感じでこう言いました。もし面と向かって言って無視されてしまった場合に、その後の空間と時間が気まずいですからなあ。またもし反感をかってしまった場合には「いや独り言ですわあ」って言い訳できます。
「油そばって関西では聞きませんけど、食べ方難しいそうですなあ。」
実際は食べ方が難しいというほどのことではありません。説明書見る限りではとりあえずごちゃっと混ぜて食べればいいような感じです。すると隣の兄さん、無視するのかと思いきや丁寧に食べ方を説明してくれました。
「まずはそのまま食べて・・、これを入れて・・・最後に・・・」
カウンターにおいてあるにんにくを最後に入れて食べると非常においしいということを、一番強調されてました。その時、抜群のタイミングで私が注文した「油そば」が提供されました。
これが出てきますと、この兄さん、もう一度復習してくれます。カウンターに置いてある調味料を順番に手渡してくれます。私が食べ方の説明書を読んでも理解できない人やと本気で思いはったんでしょうか、非常に親切丁寧な説明です。今度は少しプライベートな質問してみました。
「ここのお店はよう来はるんですか?」
すると意外なことに、聞いてもいないことをペラペラと話をしだすのです。今横浜に住んでいて、渋谷にある専門学校に週に何回か通ってる。その帰りにたまにここに寄るとのこと。奥さんもいてるんやけど、2年ほど前に勤めていた会社でリストラにあって2人でアルバイトしながら生計を立ててるそうですわ。こっちは「大変ですなあ」って言うて、相槌を打ってるだけでしたがたくさんしゃべりはりました。
兄さんの方も注文してた「油そば」が出てきまして、サクサクと食べてはりました。明日は朝から何か大事な予定があるそうで、にんにくを入れるのをガマンするって言うてはりました。
私の方はビールを飲みながらですので、ちんたらとゆっくり食べてます。後からきた兄さんの方が先に食べ終わらはりまして、
「今日はどうもありがとうございました。お先に失礼します。」
と私に丁寧に挨拶をしいて、店を出て行かはりましたわ。まさか御礼を言われるとは思いませんでした。よっぽど誰かに聞いて欲しかったんでしょうなあ。やっぱり首都圏では近くに気軽に話をできる人が少ないのかも知れません。また首都圏の人が決して「人間関係」を拒否してるんやないということもわかりました。
やっぱり首都圏で「人間関係」が希薄になってしまう理由は、時間的精神的な余裕がないということになるんでしょうかね。