今日の話は、この前の日曜日の午前中に行ってきた「妙心寺」というお寺の話です。
先週末から昨日まで天皇陛下が京都にお越しになられてまして、土曜日には妙心寺に行って国宝の「雲龍図」をご覧になられたっていうようなニュースを見たもので、梅雨の晴れ間で天気も気持ちよかったこともあってふと思い立って自転車に乗って出かけたんです。
昨年の秋。京都検定の試験受験のために、京都のお寺を実際に回って勉強するっちゅうことをやったわけですが、京都のお寺について理解を深める上でどうしてもはずせないお寺で、まだ行けてないお寺がいくつかあるんです。その1つが「妙心寺」。禅寺の中では日本で一番大きいお寺だそうな。
ご存じのように禅寺というのは鎌倉時代に中国から伝わった仏教の宗派のお寺で、有名なものでは臨済宗と曹洞宗がよく知られてますが、京都に関して言いますと禅宗イコール臨済宗と言ってもいいほど臨済宗が大きな勢力を持ってはります。特に室町時代は足利政権によって「京都五山」という格付けが制定されてたみたいです。いわば政府によるお寺のランキングですわな。1位は天龍寺、2位は相国寺、3位は建仁寺、4位が東福寺、5位が万寿寺だそうな。さらに南禅寺だけは別格ということで、天龍寺のさらに上に格付けされてたみたいです。
禅宗のお寺のほとんどは、ここに格付けされたお寺の関連施設という位置づけになってます。京都で有名なお寺として金閣寺とか銀閣寺をご存じやと思いますが、実はこれらは両方とも「塔頭」(たっちゅう)といいまして、五山第2位の相国寺の支配下にある施設なんです。
今日ご紹介する「妙心寺」。おそらくはこの支配下にある関連寺院の数のことを指して「日本最大」って言ってるんやと思います。パンフレットによると全国に6000ある臨済宗のお寺のうち3400が妙心寺派らしいです。3400全部を含めたら、そりゃ日本最大のお寺になりますわなあ。ちなみに写真に撮り忘れましたけど、丸太町通りにある入口の妙心寺の看板なんですが、「妙心寺」という文字の下に書いてあった英語の表記はこうです。
「Myoshinji Temple Complex」
Complex。つまりは「複合体」として考えてるんですな。
この日本最大のお寺集団が足利政権時代に京都五山に指定されてないのには政治的な理由があったそうです。足利義満の怒りをかったとかの理由で格下げにあったというようなことが言われてます。
さて前置きはこれくらいにしまして、この時期に妙心寺に行こうと思い立ったのは、この時期に「沙羅の花を愛でる会」というのが期間限定で開催されまして、普段は一般に公開されてない樹齢300年の沙羅双樹の特別公開があるんです。京都ローカルのニュースでは結構取り上げられている話題です。
朝の9時に自宅を出まして、中立売通りから一条通りを西へ自転車にのること20分。妙心寺の北門に到着です。広大な敷地の中も自転車で進みまして、まずは三門です。
その北側にあるのが仏殿と法堂です。広い境内の中はお坊さんもこうやって自転車で移動しはるみたいです。
これが仏殿を正面から見た図。中にいらっしゃるのはお釈迦様です。
これが法堂。
ここの天井に先日天皇陛下がご覧になった有名な「雲龍図」があります。ここは有料サイトで、20分間隔でガイドさんがついて案内してくれはるようです。今回はパスしました。無料で入れるところまで入って、お庭だけ写真に撮りました。
妙心寺には46の塔頭がありますが、その中でも有名なのが「退蔵院」です。これ、中学か高校の日本史の教科書にも出てきた記憶があるんですが、「瓢鮎図」(ひょうねんず)という水墨画で有名なんです。ここの有料サイトですが、ここは500円の拝観料を支払って入りました。これが入口。
中に入りまして、観音さんと水子地蔵さんにご挨拶して細い通路を進みます。アジサイがきれいです。
これが方丈。ここに「瓢鮎図」があります。
もちろん本物は国立博物館に保管されてまして、ここにこうしておいてあるのはコピーです。
瓢箪で鯰をつかまえようとしてる農夫の姿が描かれていて、上に文字がいっぱいかいてありますでしょ。これは禅の問答でして、第4代将軍の足利義持が「ツルツルした瓢箪でヌルヌルした鯰を捕まえることができるか?」という命題に対して、当時の31人の偉いお坊さんの解答案が上に書かれてるんやそうです。解説がなかったんで解答案の中身はようわからんのでしょうが、おそらく今のクイズ番組のタレントさんのような、珍解答が書かれてるんやろうなと想像します。
さらに奥へ行きますと「余香園」と言われる庭園です。ここの入口に「陽の庭」と「陰の庭」があって、その真ん中に立派な桜の木があります。もちろん今の時期は花は咲いてませんが、JR東海のCMにも使われた有名な桜です。入口に写真が置いてありましたんでピクってきました。
これが「陽の庭」。
右にちょっと見えるのが桜です。反対側に「陰の庭」
砂の色がちょっと黒っぽいというくらいの違いしかわかりませんけど。
さらに奥の庭園。これが秋には見事な紅葉になるそうです。
庭の周りをぼらぼらしとりますと、「座禅中につきお静かにお願いします」って看板がありました。お坊さんが修行してはるんかいなあと思ってちょっと覗くと白い靴がいっぱいならんでます。
座禅してるのは修学旅行の中学生みたいですなあ。建物の外で待ってはるお姉さんはJTBの人でした。添乗員さんって生徒と一緒に座禅をしないんですかね。生徒にとってはそれもまた旅行の思い出になるのに。
こんなものを見つけました。
JR東海さんからもみじの木が1本プレゼントされたそうです。
その隣にあったのが「水琴窟」
実際に水を流してみましたが、これがまたええ音がしますねん。ようできてます。
さて、退蔵院を出ますと時刻は10時30分。たった1時間ですが、来た時と様子が違ってます。観光客の多いこと。9時30分にはほとんど人影は見られなかったんですが、この時間は一変してます。まずは修学旅行生。
これもお坊さんが先頭に立って案内するんやね。お寺のビジネスです。中高年のツアー客は、ゴルフ場で乗るようなカートに乗って広い境内を見て回ってはります。これもお坊さんが乗ってます。初めて見る風景ですわ。
添乗員さんが先頭で旗をもって歩く行列も3つほど見ましたし、それ以外にも個人観光客がわんさかいる中、今回の目的の「沙羅の花を愛でる会」が開催されている「東林院」という塔頭に自転車に乗って移動です。もちろん妙心寺の敷地の中にあるんですよ。
普段は拝観をやってないお寺ですので、拝観料を支払うチケット売場みたいなもんがありません。ですので、ちょっと手前に小屋に机とイスが用意されてます。ここで特別拝観料を支払います。
抹茶付が1580円、精進料理付が5250円やったかな。
「これ、抹茶付か料理付を選ぶんですかね?何もついてないプランはありませんのん?」
野暮な質問ですが、一応聞いておきます。京都らしい回答しはりますわ。
「おへん」
1580円が高いか安いかは、入ってみてお庭を見てお坊さんの話を聞いてから考えてくださいって言われました。
中に入りましてまず目についたのが「くちなしの花」。
渡哲也のヒット曲で名前は聞いたことがあるんですが、実際に花を見たのは初めてですわ。実が熟しても割れないから「口無し」っていうそうな。
これが建物の入り口。ここで靴を脱いで建物の中に入れてもらいます。
奥の方に案内されまして、まずはお抹茶を飲むんです。沙羅双樹の木がある庭の縁側には、既にお抹茶を飲み終えた人がこうやってたくさんの座ってはります。
しばらくすると若いお兄さんがお菓子とお抹茶を運んできてくれました。
鼓月さんの和菓子ですわ。甘さ控えめな上品なお味。こういうときお茶の作法を知らないから困るんです。お茶を先に飲むのかお菓子を先に食べるのか。迷いましたがお菓子を先に全部食べてからお茶をいただきました。正しいかどうかは知りませんが、お菓子で終わると口の中に甘味が残って気持ち悪いですから。
ちょうどお茶を飲み終えたころにビックリ。JTBのツアーの団体さんがドドドーンと入ってきはりました。えらい勢いですわ。
我々は席をゆずりまして、縁側の方に沙羅の花を愛でに行きます。縁側から内側を撮った写真。この左側にもたくさんの人が座ってはるんですよ。そのにぎやかなこと。
これがお庭の写真。沙羅は正式には「ナツツバキ」という花だそうですが、朝に咲いてその日の夕方には咲いたままの状態で落ちてしまうんです。こうやって地面にたくさんの花が落ちています。
一方の縁側の方はといいますと、たくさんの観光客がこうやってカメラを向けてはります。私も写真を撮ってますので他人のことは言えませんが。
ある程度みなさんが写真を撮り終えたころにお坊さんが出てきはりまして、こうやってマイクを持ってお話を始めます。
このお寺、普段は非公開なんですが、ちょいちょいメディアにも出てくる宿坊なんです。住職が敷地内の畑で野菜を栽培してて、それを使ったヘルシーな料理を出すって有名なんですが、ここのお坊さん、どう考えても毎日精進料理を食べて生活してるとは思えないくらみなさん丸々と太っておられます。
「平家物語」に出てくる「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色・・・」の話に始まりましてお坊さんの挨拶がひと通り終わりますと、いよいよ説教がはじまります。説教のメッセージはいたってシンプルでした。お坊さんの言葉はパンフレットに書いてあるこの文章に要約されます。
「生かされている人生をどう生きるか。今日を無駄にはできない。今は今しかない。二度とめぐり来ない今日一日一日を大切に悔いなき人生を送らねば。」
坊さんの言葉で印象に残った言葉。
「人間の死亡率は100%である。」
言われてみたら確かにそうですわな。「死ぬ」ということは決して悲しいことではない、「悔いを残して死ぬ」ということが悲しいことやって言うてはりました。沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの生命を精一杯咲きつくしているのですって。そして、明日死ぬかも知れないと思って今日を精一杯生きる。やりたいと思ったことをやるのは「いつか」ではなく「今でしょ」ってはやりのフレーズを使って言うてはりました。
「右手を枕にして西の方角を向いて寝ると北枕になる。」
考えたらあたりまえの話ですが、妙に納得しましたわ。お釈迦様が亡くなられた際、右手を枕にして西、すなわち天竺(インド)の方角を向いてはったそうです。そうなるとお釈迦様の頭の方角は必然的に北を向くから、北枕は縁起が悪いって言われるようになったそうです。
「忙しい日常の中、時々はこうやって仏縁深い花のもとで、静かに座って自分を見つめ、“生きる”ということについて考えてみてください。」
こう言われました。なるほどおっしゃる通り。大事なことやとは思います。ただね、お言葉を返すようですが周りを見て下さい。お坊さんの話をちゃんと聞かずにワイワイとやかましく騒いでるJTBの観光客だらけでっせ。この環境で自分を見つめることは極めて難しいと思います。
お坊さんのお話が終わりましたら、お客さんの入れ替えです。団体さんは次の予定があるんでさっさと出口に向かわれますが、ここで私はふと気がつきました。肝心の樹齢300年の沙羅双樹の木はどこに行ったんかいな。庭にはそんな大きな木がなかったんですがね。
で、話終わったお坊さんに直接聞きました。
「樹齢300年の沙羅双樹は、どこにありますのん?」
お坊さんはあっさり答えはりました。
「いや、もう枯れてしまってありません。今はその子供の株がこういて11本出てきてるんです。」
樹齢300年って聞いたから来たんですけど枯れてしまってるとはビックリ。少なくとも10年ほど前まではあったはずです。TVなどの映像で見たことありますもん。で、続けて質問です。
「なんで枯れてしまいましたん?」
お坊さんは困ってはりました。
「なんでって言われましても、300年経ってますから。いつかは枯れますわなあ。」
へぇー。ほんまかいな。300年も生きる木にも寿命ってあるんやね。知りませんでした。300年生きてきた木がこのタイミングで枯れるってのも、やっぱり「無常」ということなんでしょうかね。