昨日は大阪の尼崎の杭瀬というところで仕事がありまして行っておりました。大好きな阪急電車とあんまり好きではない阪神電車の2つを乗り継いで行くのですが、その帰りの阪急電車の中で偶然ある知り合いに出会いました。もう20年ぶりです。
不思議なもんですね。20年間全く連絡も取り合っていなかったんですが、お互い何となくわかるもんなんですね。
「失礼ですが、もしかしてN先生でらっしゃいますか?」
勇気を出して私の方からこう聞きましたら、先方も気がついておられたみたいで、おおーってことになりまして、「全然変わってはりませんなあ」とか「今、何してますのん?」みたいなごくありきたりの会話をして別れました。十三から乗ってこられて淡路で天六方面に乗り換えはったんで5分ちょっとの間だけでしたけど、昔の懐かしい話もできました。
N先生は高校の国語の先生です。年齢は私よりも10歳ほど上で、今も大阪で非常勤で教師をやってるそうですが、実は20年前に同じ学習塾で講師として働いていた仲間なんです。当時私は大学生で、学習塾でアルバイトで講師をしてました。N先生は当時から既に高校の先生でしたが、今から思いますとまあええ加減な学習塾でしたわ。今日は東京へ向かう新幹線の中で、20年前のそんな学習塾の思い出を少し書いてみます。
その学習塾。経営者はある病院に勤めるお医者さんで、2週間に1回ほど夜遅くに教室に顔を出すだけで基本的には授業に関与しません。じゃあ他に電話番とか受付をするスタッフがいるのかと言えば、それがいないんです。当日の授業を担当する講師が、教室の鍵を開け、掃除をし、授業をし、電話がかかってきたら対応し、戸締りをして帰るという具合。すべての仕事を講師がするというシステムです。ちなみに生徒が持ってきた「月謝」も講師が受け取って経営者に届けるんですよ。普通ではありえません。
じゃあ、その講師はどんな人がなっているかといいますと、N先生以外はみんなそのへんにいてる大学生なんです。人にものを教えるという「講師」という意味では全くの素人ばかりです。一応受験勉強をやって大学に合格した人ですから、得意科目なら小学生や中学生レベルの学習内容でわからないということはありませんが、例えばクラスをまとめるとか、授業をスムーズに進めるとか、生徒同士のトラブルへの対応するなんてことは、全くできない人もいるんですね。そのためか数ヶ月で辞めてしまう講師もたくさんいてますし、おだやかな生徒しかいないクラスしか担当しないという人もいます。
こんな学習塾に生徒が来るんかいなと思いなさるでしょ。それがそれなりにニーズがあるんですわ。もちろん有名進学校を受験しようなどという人は来ません。でも学校の授業にちょっとついていけないという生徒が結構来るんです。まあ家庭教師を雇うかわりにこの塾に来るという感じで生徒が集まってましたわ。1クラスの人数は2人から10人。一応テキストはあるんですが、授業内容は担当講師に全て任されてまして、生徒のニーズにあうような内容を講師が毎回考えて進めていく感じです。まことにええ加減な学習塾です。
そんなええ加減な学習塾。私はなんやかんやいうて4年間講師やりました。好きなように授業できるということがかえって面白かったんですが、今ではとても考えられないようないろんなことをやりましたわ。
クラスを担当してまず最初に戸惑ったのは、生徒がわからないことのメカニズムを私がどうしてもわからなかったこと。わかりやすく言うと、とても信じられないようなアホがいっぱいいてるってことです。アホって言うと失礼ですかね。でも自分が今まで育ってきた環境の中には存在しなかったレベルの子供がいっぱいいてるんです。思考回路がどうなってるのか、私には全く想像できなかったんです。
特に数学が苦手な子というのは感覚だけで問題を解こうとする傾向があるんですね。問題の本質を理解せずに、教えてもらった解き方の手続きだけを覚えるもんですから、その手続きのどこかが抜けるとパニックになって、むちゃくちゃな思いつきで答えを出してしまう傾向があるんです。最初は一生懸命に説明して理解させようと頑張ったんですが、どうしても無理でした。そこで本質を理解させることをあきらめて、生徒の「感覚」の方を鍛える授業にしたんです。
中学1年生の1次方程式。私がホワイトボードに書いた方程式の答えを3秒以内に順番に答えさせ、1人でも間違ったら鉄製の定規で全員をどっつくってものですわ。まあ絶対に解けるような簡単なものばかりですので実際にどついたりすることは1回もないんですが、「連帯責任やー」って言うてすごい緊張感を与えることで「方程式を解く感覚」というものを身につけてもらうんです。
「2x=6」「3x=12」「5x=10」みたいに割り切れるもんからはじめて、「2x=7」「4x=13」「7x=2」みたいに答えが分数になるもん、その次に「3x=-7」「-4x=8」みたいなマイナスが入ってるもんというように、少しずつ変化させていきます。「xの前の係数で割り算する」みたいな理屈は言いません。こんな形になったらこう答えるという「感覚」を鍛えるですわ。8人くらいの生徒でこれを5周くらい回すんです。間違えたら連帯責任ですから、みなさんが自分の番じゃなくても40問全てに集中してくれます。
次に私が困ったのは生徒間のレベルの差ですわ。基本的には学校の授業についていけないダメ生徒を救う塾ですから、授業のレベルは一番ダメな子にあわせるべきと考えとりました。とはいうもののそれでは少しくらいできる子にとっては面白くないですわなあ。そこで考えたのが「ハンデ」ですわ。毎回授業の最後の5分くらいでその日の内容のチェックテストを実施するんです。これ、1ヶ月の合計点数で毎月1位の生徒を表彰するんですが、1位になるとゴルフコンペみたいにハンデキャップが減らされるルールにしたんですわ。そうするとできる生徒は次の月以降はさらに高得点を取らないと1位になれないですし、あまり優秀でない子でも他の生徒のハンデが減ってくると秋ごろには、優勝のチャンスが回ってくる可能性があるんですね。しかも優勝候補がたまたま病気や用事で授業を欠席してチェックテストを受けられなかった場合は、思わぬ生徒が優勝して波乱を引き起こします。優勝したからと言って何か賞品を出すわけではありませんが、教室の壁には「歴代優勝者」として名前を貼り出すんですわ。そもそもここの塾に来る生徒は学校ではテストの成績で表彰されるようなことがないような生徒ばっかりですので、これだけでもすごいモチベーションUpにつながるんです。
授業中によく生徒を指名して答えさせるでしょ。これもハンデで上位ランクの生徒には難しい質問、格下の生徒には比較的簡単な質問をあてるんです。今の時代にこんなハンデつけて格付けするようなことをすると、差別やとか不公平やとか言うてくる親が出てくるかも知れませんが、当時の生徒たちはそれなりに納得して盛り上がってました。
教えるのは数学だけではありません。最初に書きましたように、経験のない大学生講師ばっかりですから、うまくクラス運営に対応できない講師はすぐに辞めてしまうんです。そうすると、その授業も私がやらないといけないケースがあります。実際に小学生の理科・社会科とか高校2年生の古文なんかも担当しました。
一番の思い出は中学1年生の英語のクラスですわ。何ヶ月たってもアルファベットの「b」と「d」、「p」と「q」の区別ができない生徒がおるんです。そりゃ講師の先生も辞めてしまいますわな。こんなもん覚えるしかないと思うんですが、なんで覚えられへんのでしょうね。この生徒、T君としときましょうか。今はなくなったんですが京都ではそこそこ大きなインテリアの会社の社長の息子やったんです。ぬくぬくと育てられて、おそらく普段の生活に全く緊張感がないんやと思いますわ。社長の息子やったらお金もあるんやろうし、こんな塾に来なくても専属の家庭教師でもつけたらええのにと思うんですがね。
他の生徒のこともあるんでこのままではイカンと思いまして、ある時にT君に次の週までに、とりあえず10個の英単語を命がけで覚えてみんなの前で書けるようにすることをきつく指示したんですわ。簡単な単語ばっかりですよ。りんご、犬、本、机・・・・・。人間ってこのようなストレスをかけられると、そのストレスから何とか逃れようと一生懸命努力するもんです。でもT君は違いました。次の週にみんなの前でホワイトボードに10個の英単語を書かせたのですが、相変わらずです。「本」と言うと「dook」と書きよります。1週間の間に何とか覚えようと努力した形跡が全くありません。
この時、私は本気で怒鳴りました。今まで40年ちょっと生きてきて、人間を本気でどついたのはこの時だけです。興奮した勢いで「やる気がないんやったら来週から来なくていい」とまで言いました。まあ今の時代やったら間違いなくT君の親と塾の経営者から訴えられたでしょうね。
その時も実は少しだけ心配してました。次の週からT君が塾に来なくなるんじゃないかと。でも彼は次の週もその次の週も、今まで通り私の授業を受けにきました。劇的に勉強できるようになったわけではありませんが、以前よりは多少努力してる様子が感じられるようになりました。やっぱり怒鳴ったりしばいたりすることが有効なんかなあとその時は思ったんですが、彼の場合は違いました。後でT君の親との面談でわかったのですが、彼にはどつかれたことよりも「来週から来なくてよい」という言葉の方が相当こたえたようです。両親はビジネスで忙しくて、なかなかT君とふれあう時間がなかったんですってね。学校でも友達を作るのが苦手なT君はずっと寂しい思いをしてたそうです。誰でもいいから自分に構って欲しかった、私に本気で叱られたことがむちゃくちゃうれしかった、だから「来週から来なくていい」という言葉が一番つらかった、そんな風にT君の両親は言ってはりました。
T君は今生きていれば今年35歳かな。もし会えるものなら会って一緒に飲んでみたいです。大学生の4年間、塾の講師をやって一番心に残った生徒ですわ。